XJ−Sと男

気がつくとすでに納車から一年経ちました。
つくづくXJ−Sは良い車だと思います。

 XJ−Sが納車されてから、1年が経ちました。
 更新がいろいろと出来ませんでした。
 この間にあったことといえば、マーコスが実家にしまわれてほぼイベント専用となってしまったことと、XJ−Sの低圧ホースが経年劣化でエアコンのガスが抜けてしまったこと、くらいです。
 普通なら、トラブルが多発でエピソード満載……なんてことにでもなるのでしょうが、我がXJ−Sについては特にたいしたトラブルは発生していません。心配していた都内の夏の渋滞も問題なく過ごせましたし、「ああ、車ってこういうものなんだ」としみじみとそのありがたみを噛みしめた一年でした。
 また、困ったことに…というか、嬉しいことなのか…実はXJ−Sを手に入れてから欲しい車がなくなってしまったんです。
 運転する快感を得るなら「マーコス1650GT」があるし、快適な移動手段なら「ジャガーXJ−S」があるし、馬鹿になるなら「メッサーシュミット」もある。近所のお買い物はビッグスクーターで充分。急いで都内に移動するなら250CCのバイクが速いし。
 こうしてみると、もうこれ以上何が必要なんだと…そう思ってしまいます。というか、私一人ならもうなにもいらないレベルです。あとはなにを買っても今持っている車やバイクと重なってしまいます。それでも普通なら、あれもこれも、と思ってしまうはずなのに…なのにそういう気持ちが起こらない。気分的には「満たされてしまった」わけです。
 普通ならこんな時にはすぐに「別のほしい車」が出てくるものですが、スーパー7、マーコス1650GT、メッサーシュミット(レプリカ)、ジャガーXJ−Sと乗り継いでくるとそう滅多にほしい車が出てくるわけがありません。
 自動車にハマった頃は、自動車を何台も所有してその時々に応じて使い分ける、なんてのがかっこいいと思っていましたが、今は逆にXJ−Sのように申し分のない機能を持っているけれど、すべての局面ではミニバンのようにはいかない、「ちょっと足りない」感じがかっこいいかも……なんて思ってしまいます。人間でも、仕事は一通りは出来るけれど、でもなんかこう魅力に乏しいというか余裕がない人よりも、ある局面では誰もが認めるすごい能力を持っていて、でもちょっと苦手なところもあって、いつも楽しそうにしているような人の方が付き合っていて楽しいのと同じようなものかもしれません。
 普段の生活はミニバンなら申し分ないし、便利だし。でも、XJ−Sのようなヤツに出会ってしまうと「おまえはそれで楽しいの?」と聞かれた時に思わず口ごもってしまって「今は楽しいよ」なんて思えないような生き方ってすごく寂しいと思うんですよね。
 XJ−Sって逆境でも、しっかりと踏ん張っているけど、絶対に逆境に甘んじているような存在じゃないと思うんです。チャンスを見つけて絶対にそこから抜け出せる、それを虎視眈々と狙っているヤツに見えるんです。だけども、今のミニバンとかになっちゃうと、「俺は仕事でこんな事までやっている、ほかのヤツとは違うんだ」とあちこちに言いふらしているけど、どうしても薄っぺらに見えてしまうようなヤツに見えてしまいます。本人は口でいろいろといっているけど、周りはそうでないことを知っている……そんな滑稽な感じがするんです。
 なんでこんな事を言うかというと……「自動車」って良しにつけ悪しきにつけ、「時代の鏡」みたいなところがありますからね。数値としてはすごいけど魅力のない人間が増えたら、やっぱり自動車もそういう感じになっちゃうんだと思うんです。熱狂的に人々に愛されている自動車っていうのは、単なるテクノロジーやカタログスペックだけの話ではなくて、その裏側にある「作り手の意志」みたいなものが周りにも伝わるような車ばかりだと思います。
 今の自動車ってそうしてみると、もの凄くやばいテンションにあるんじゃないかと……思ってしまうんです。
 XJ−Sを乗るようになって、もの凄くそういうことを考えるようになってしまうんです。
 いっそのこと、カタログスペックなんかやめて、もっと「子供だましじゃない感性」の車を作ってみたらどうでしょうね。もっとも「子供だまし」という言葉も最近では、子供の方が大人よりも鋭い感性を持っていたりするので大人の方がうわべにだまされていたりしますが……」

 XJ−Sに乗っていると「俺、このままじゃ駄目だ。なんとかしないとな」と思ってしまうんです。
 上を向いて、しっかりと背筋を伸ばして、前を向いて進んでいかなきゃ……XJ−Sの後ろ姿は、そんな男の後ろ姿に思えます。

戻る