XJ−Sという「形」

車にはいろいろなイメージが見え隠れします、
機械であるXJ−Sに自然を感じることもあります。

 最近、メルセデス・ベンツの300Eをしばらく乗る機会があったので、それとXJ−Sの話をしたいと思います

 メルセデス・ベンツの300E…なるほど、これは良い車だと思いました。

 がっしりとした作りから受ける安心感、基本的なハンドリングやブレーキなどを一切ごまかさないレベルの高さ、無駄がないのに細部まで考え抜かれて作られている事など…細部まで考えられているという要素の中には運転している人の誤動作まで含まれているのが伺い知れます。
 理屈はともかく、後部座席に座ってふと横を見たときに、視界に入る後部のピラーの角度なんか不思議に落ち着きます。
 「減点法で車を採点したらベンツにかなう車はない」という言うのがわかります。基本をおろそかにしてはいません。そういう自分自身に厳しいところがありながら、運転している者の間違いまでを吸収しようとしている、こういう車の作り方ってあるんだなとわかります。

 しかし、自分が運転しているうちにふと、その感覚が…「私に任せてください、あなたは余計なことをせずに私に任せてくれれば良いんです」…というメッセージに思えてきてなりませんでした。

 高速道路でXJ−Sは、他の車を追い越していくときに、じわじわじわとアクセルを踏み込んでトルクを生かした加速をして、追い抜いた後でゆっくりと車速を落とすような走り方が合っています。それはまるで見えないなにかの流れに乗せて車を操るような感覚がどこかにあります。
 ところが、300Eになると、じわじわとアクセルを踏むと加速はゆったりとしかしてくれません。他の車を追い抜くときは、アクセルを強めに踏んで「加速する!」という意志を車に伝えて、キックダウンと共に加速していく事になります。そこには「明確な指示が合ってこそ、物事は動きます」と言われているような気がします。
 どちらが良い、悪いということではなくて、どちらが「好き」かということになると思います。
 わかりやすさでは300Eでしょう。ただ、こちらは「上には上があるんですよ。どうです? 上に行ってみたくありませんか?」って耳元で囁かれる怖さもあります。街中ですれ違った新しいモデルが気になるという…。

 都会的で揺るぎない存在感がある300E、どこか自然にある流れを感じさせるXJ−S。
 私はXJ−Sのどこか線の細い、それでいて「単純な力だけがすべてじゃない」という感じのXJ−Sって好きです。


 

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